1. ホーム>
  2. 瓜連まちの風土記 第12巻

瓜連まちの風土記 第12巻

瓜連まちの風土記 第12巻

らぽーると瓜連小学校

 

【水郡線の風景】
私の庭のそばにいつもある電車

 スローなまなざしでまちの風景をみれば、
 いつもはみえない幸せがみえてくる
12表紙
◆水郡線は、瓜連の住宅地と農地が果てしなくひろがる大地を貫いている。
◆ほとんどが無人の駅を1時間に1本のペースで結びつけるそれは、この大地に生きる人々とシンクロしている。
◆おおらかに、ゆっくりとしたスピードで通り過ぎていくそれをみていると、いままで忘れていた風景がよみがえってくる。

そこに着くと、物静かで穏やかなまちの風景と
果てしなく続く一本のまっすぐな線路が、私を
待っていた。
12-03

電車はまったく来る気配がない。

あたりはシーンと静まりかえっている。

いつも車やバイクがガヤガヤ通るところに
住んでいる私にとって、そこはとても不思議
で、それでいてなぜか心地よさを感じさせる
ところだった。
12-05

私は何も考えずに思わず線路の上を
歩いてしまった。
12-07

よくないことをしていると気づいたが、この
風景の中で、鳥の声を聴き、風を感じながら
歩くのは、まるで映画のヒロインにでもなった
ような気分でとても気持ちがよかった。
12-09

元の場所に戻ると、柵の上で雨蛙が昼寝を
していた。なんとのどかなのだろう。
12-11

毎日、毎日時間に追われ、同じような
生活をくり返している。

そして、同じような風景を見て退屈な日々を
おくっていた私にとって、ここに来たことは
とても新鮮で、自分の今までの世界観が
がらりと変わってしまうようだった。
12-13

そんなことを思いながら映画の世界に
ふけっていると、突然、踏切の音が
カンカンカンと鳴り出した。
12-15

私はその音で現実へと引き戻された。

遮断機が下りてくる前に、線路の
真ん中から退いて、電車が通り過ぎて
行くのを静かに見送った。
12-17

電車が通り過ぎるのを見ることなんて、
いつものことでなんでもないことのはず
なのに、なぜかはじめて見るような
わくわくした気持ちになった。
12-19

水郡線は、私が普段見ている電車と
何がちがうのだろう。

まっ直ぐ果てしなく続くたった一本の線路。
小さい踏切。

普通の踏切は、渡る時少しの緊張感が
生まれるが、この踏切にはそれが
感じられない。
12-21

線路が暮らしの中の風景になっていて、
踏切もすっかり暮らしにとけ込んでいる。
電車は私たちのすぐとなりを走っていて、
普通の電車のように私たちの生活と切り
離されたりしていない。

暮らしの中にあるのがあたり前だから、
なじみのあるものになる。こんなふうに
考えていると、鉄の塊である電車に
温かささえ感じてくる。
12-23

ついさっきまで柵の上にいたカエルは、
電車が通り過ぎるのと一緒にいなくなって
しまった。
ふと気がつくと、私の足もとには黄色い
きれいな花畑がひろがっている。
いったい誰が植えたのだろう。踏切の脇が
小さな花畑のようになっている。

これも水郡線がまちの人々に愛されている
証拠であると考えた。
 

過ぎ去って行った電車は、
私に心地よい風を届けてくれた。

私が見た今日の風景は、
私に大切な時間をくれた。
 

時間に追われ続けている多くの人にも
ぜひ見てほしい。
時間を忘れて歩いてみてほしい。

あなたが忘れているものをきっと
思い出させてくれると思うから。
12-27

 

12-28
瓜連駅とは
茨城県那珂市瓜連にある東日本旅客鉄道(JR東日本)水郡線の駅である。
1918年(大正7年)に、水戸鉄道の駅として開業。当時は終着駅であった。
1983年(昭和58年)に無人化され、2000年に橋上化される。

 

 2015年3月20日 発行
著 者 :清水 るりこ(日本地域資源学会)
写 真 :森作 勇哉(常磐大学コミュニティ文化学科)
デザイン :宗形 朱梨(常磐大学コミュニティ文化学科)
監 修 :塚原 正彦 常磐大学教授
第11巻 瓜連小学校木造校舎  戻  次 第13巻 素鵞神社(お天王さん)