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瓜連まちの風土記 第41巻

瓜連まちの風土記 第41巻

北城地区と田園風景

 

【四匹の狐の物語】
四匹の狐に学ぶ
ふるさとを豊にする物語

 ふるさとを守る知恵とチカラがみえてくる
41表紙
◆生活者のまち瓜連では、みんなが自然に寄りそい生活をつくりあげてきた。
◆彼らは、山にはいり木を切り、実をとり、水をつくった。
◆畑で作物をつくり、織物もこなした。そんな生活者が自然とともにある暮らしのスタイルを継承するために編んだ物語である。

海で漁をして暮らす海幸彦
山で狩りをして暮らす山幸彦
それに類似した話は
日本各地で見ることができる。
41-03

山海に囲まれた日本は、それぞれの土地で
それぞれの自然の恩恵を受け、神に感謝し、
その恵みをわけてもらうことで命をつないできた。
分業することは多くの場合理にかなっていたし、
また厳しい自然がそうせざるを得ない状況に
あった土地も多かったことだろう
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ところが瓜連で生きる人々は分業せず、あらゆる
仕事をこなして生きてきた。
山にはいり木を切り、川を守って水を作った。
土をつくり畑で作物をつくり、織物もした。

狩猟生活ではなく継続的な農耕生活を可能に
する豊かな自然に寄り添い、感謝し、支えられ
ながら、一人が何役もこなし、つないできたまちの
営みがそこにあった。
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自然と共生する勤勉さこそが、古来より瓜連の
生活スタイルであり、その大切さを物語で
つないだのが四匹の狐の物語である
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狐は昔から唯一瓜連町に伝わるものである。
峻険な山間の村ではなく、早くから開けた里山
であったことと無縁ではないだろう。
働く人々にとってまた身近な生き物だったに
違いない。四匹の狐の伝説はこのような話で
ある。
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昔、静の青木山に四匹の兄弟狐がいて、一番目
は、源太郎狐、二番目は甚二郎狐、三番目は
紋三郎狐、四番目は四郎介狐と呼ばれていた。
この四匹の狐は他の狐とは違って、人間を
だましたり困らせたりはせずに、人間に協力を
してくれた。
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源太郎狐は、本家である里とこの里にある
大きな川を守った。河川の魚介類を豊富にし、
肥沃な土を運んで穀物を豊かに実らせた。
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甚次郎狐は、野を守り、田畑の開墾に力を貸し、
稲作、畑作に神通力を発揮して田畑に麦、米
など五穀を年々増収させた。
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紋三郎狐は、山を守り、山の木立の生長を促し、
家の建築に欠かせない土、砂利や土石の
在り場を暗示した。
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四郎介狐は、東の海を守り、大海のなかの
魚類の居場所を知らせ河上まで魚を誘き寄せ
たり、人間の命を守ったり、塩作りの方法も
暗示した。
41-21

四匹の狐は、昼夜となく駆けめぐり人間のため
大活躍をしたので人間から尊敬された。
現在では、源太郎狐は瓜連城に、甚二郎狐は
米崎城に、紋三郎狐は笠間城に、四郎介狐は
湊城に守り神として迎えられている。
41-23

四匹の狐の仕事が、瓜連のまちにとって大切な
仕事を教えていることがわかる。と同時に
すべてがここでまかなえる豊かさも示している。
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瓜連は平成の大合併前、茨城県内で最も面積
が小さい自治体であり、大規模チェーン店も
ほとんど存在しなかった。それは古来より脈々と
続く自給自足の土地であったことも大いに関係
しているように思える。
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今も瓜連のまちは静かに、確かな息づかいで
存在している。決して大きなまちではなく、GDP
の成長率ではその豊かさは一見、わかりにくい
かもしれない。
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しかしそこにあるものを生かし、感謝し、足るを
知る生活の豊かさを誰よりも知る人々がいる。

高度成長の幻想から脱却した本当の豊かさと
幸せを知るまち、それが瓜連なのかもしれない。
41-31

 

 

 2015年3月20日 発行
著 者 :森作 勇哉(常磐大学コミュニティ文化学科)
写 真 :森作 勇哉(常磐大学コミュニティ文化学科)
監 修 :塚原 正彦 常磐大学教授
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