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瓜連まちの風土記 第9巻

瓜連まちの風土記 第9巻

らぽーると瓜連小学校

 

【らぽーるに集う人々】
学びの和がひろがる博物館

 家族と地域社会の理想のカタチがみえる
09表紙
◆年齢、性別の粋を超えてまちの人々が集まり、学びあい、ゆるやかにつながっている。
◆ここに集う人々は、そこにある価値をあたりまえのように、でもありがたいものとして自然に受け入れている。
◆子どもたちには、自分の足もとがしっかりしていて、豊富な経験をつみあげてきた大人たちがあたりまえのようにつきそっている。
◆理想の地域社会のモデルがここにある。

最近、自分がやけに子どもっぽいと感じる
ときがある。物事に対する感じ方や反応、
そのあとに続く行動が。
瓜連を歩いたときの私はまさにそんな感じで、
自分の歳の半分にも満たない学生さんたちに
気をつかわれているとは露ほども思わず、
いっそ清々しいほどの幼稚さでそぞろ歩いて
いた。
09-03

彼女たちにとって瓜連の風景は
とりたてて変わりばえのしない退屈な景色
だったとそのときは気づかなかった。

恥ずかしながら私と同じように
そのみずみずしい景色や空気を
思いきり味わっていると
思っていたのである。
09-05

だってこんなにきれいじゃない。
イギリスの風景画みたいな景色が
そのままそこにあるでしょう。
フレームアウトすれば
そのまま絵になる。
09-07

写真で切り取る瞬間が楽しくてたまらない。
まるで初めて外で歩く子どものように、
たいした距離じゃない道を
あっちにふらふら、こっちにふらふらと
道草を食っていたような気がするのである。
09-09

私がこんなふうになったのは、
自分が子どもを持ってからだった。
どういうわけか、自分の子どもの目を
とおしてもう一度生きなおしているような
気がするのだ。
09-11

正直、小さい頃の私は自然なんか少しも
好きではなかった。日差しが強すぎれば
立ちくらみを起こしたし、雨や水たまりで
靴や服が濡れるのは気持ち悪かった。
風が運ぶ砂埃にせきこみ、雪どけの泥が
気持ち悪かった。
09-13

その私が、太陽の下で走りまわり、
自分がぬれることをいとわず水遊びし、
風に向かって駆け、思い切り雪合戦をして
遊ぶ子ども達にシンクロナイズしているの
である。
09-15

そういう感性で見ると、
瓜連はいかにも彼らが好みそうな土地で、
その美しさはすっとしみこむように
体に入り込んできた。
09-17

けれどその一方でわかるのである。
この美しさを感じ取れるのは、
やっぱり私が大人になったから。
そのままでは残せない、維持できない
ものを、手をかけて、心をつくし、
残そうとしている人がいるということが。
09-19

瓜連の町を訪れると、
生涯学習施設の「らぽーる」に
年齢、性別を問わない町の人々が集って
いる様子が見られる。
それぞれが独立した時間と空間を楽しみ
つつ、ゆるやかにつながっている様子が
うかがわれる。
09-21

私はこれこそが瓜連の町の魅力のように
思えてならない。彼らは私のように、
昔と今が分断した状態ではなく、
そこにある価値をあたりまえのように、
でもありがたいものとして
自然に受け入れて享受しているのである。
09-23

子どもたちは自分の足もとがしっかりして
いて、その上に積み上げてきた大人たちが
あたりまえのように一緒にいられる。
その尊さに気づいている人が
どれだけいるだろう。
09-25

もしかしたらそういうことに気づくことが
外の視点なのかもしれない。
だとしたら私は外側の人間として
声を大にして伝えたい。
09-27

あなたたちのいる場所は、今そこで
過ごしている時間は何にもかえがたいと。
それを知る助けになるのであれば、
町の外の人間がこういう場所を訪れる
意味もあるだろう。
09-29

そして私のように生き直している最中の人も、
そういうきっかけを探している人にも、
瓜連のような町が果たせる役割は、
決して小さくないといえるのである。
09-31

 

09-32
総合センターらぽーる
那珂市古徳371
電話:029-296-1651

 

 2015年3月20日 発行
著 者 :西野 万里子(常磐大学コミュニティ文化学科)
写 真 :森作 勇哉(常磐大学コミュニティ文化学科)
デザイン :宗形 朱梨(常磐大学コミュニティ文化学科)
監 修 :塚原 正彦 常磐大学教授
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