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瓜連まちの風土記 第25巻

瓜連まちの風土記 第25巻

古徳沼と自然

 

【古徳城からの古道】
今と昔を結ぶ道の博物館

 戦国武将と出あえる秘密の道
25表紙
◆古徳沼から静神社に続いている秘密の通り道である。
◆かつて古徳城があって、抜け道になっていたという伝説の道である。
◆楠木、佐竹といった名だたる戦国武将たちが戦をくりひろげた足跡が刻みこまれているはずだ。
◆想像の翼をひろげながら、この道を歩いてみれば、時空を超える思い思いの旅が体験できる。

古徳沼から静地区にぬける古道は、かつて
古徳城への抜け道にかっていたという伝説の
道だ。道路脇の草が生い茂り、山道と一体化
している。
人通りも少なく、地元の人しか通らないため
入り口を見つけることも難しい秘密の通り道
といった様相を呈している。
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その秘めやかさは時空を超えた歴史の旅に
ふさわしい。ゆっくりとその道をたどりながら
思い思いの光景を思い浮かべることができる。

今はとても静かな瓜連のまちだが、初めて
この地に足を踏み入れる人のほとんどが、
この地で起こった戦いのことを知らないだろう。
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今はとても静かな瓜連のまちだが、初めて
この地に足を踏み入れる人のほとんどが、
この地で起こった戦いのことを知らないだろう。
いまから、約700年前の南北朝時代、
瓜連では、南朝側と北朝側に分かれた激しい
戦いが繰りひろげられ、まちは戦禍に包まれて
いた。
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瓜連のまちに築かれた城としては、南朝方の
拠点として楠木正家による瓜連城の方が名が
通っている。
瓜連城には、楠木正家の他に、那珂通辰など
近隣の南朝方の勢力が集結して、北朝方の
佐竹氏などと対峙した。
しかし、那珂通辰が佐竹軍に敗れ、瓜連城に
退く途中に退路を断たれ瓜連城は落城した。
そして、現在の常福寺境内一帯が瓜連城跡
である。
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古徳城もまた、南北朝時代に古徳氏の手によって
築城されている。しかし、室町時代に落城し、
古徳氏も滅亡してしまった。
現在は、こぢんまりとした小さな丘が遺されている
だけで、立派な城址があるわけではない。しかし、
そのつつましさが却って想像力をかきたてる。
それゆえ、今は静かな瓜連にふさわしいとも
いえるだろう。
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今ものこるその抜け道には、当時の様子が
垣間見える風景は残っていない。
時のすぎゆくままに朽ち、巡る季節の中で
重なりゆく草葉の陰に、こっそり歴史の重みを
感じるのみである。
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どれほど悲惨な光景であろうと、人の営みは
自然の流れによって浄化されていく。
それと同時に、変わらないと思われる風景が、
実は日々刻々と変化しているものだと言うことを
あらためて考えさせられるのである。
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人が歴史に学ぶ意味は何かということを、
あらためて問いながら歩くもよし、穏やかな風景に
感謝しながらたたずむもよし。
歴史の跡をたどる旅は自分と向きあうきっかけ
にもなる。
来し方をかえりみて、これからの歩みを考える、
静かで豊かな時間を持つことができるだろう。
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白鳥の飛来する古徳沼周辺は、オンシーズンは
日本各地からの訪問者で賑わい、オフシーズンは
近場の鳥たちの地元の人が集う憩いの場になる。
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訪れる時期によって印象の変わる場所だが、
瓜連の他の路と同様、自分の心持ち一つで
印象の変わる場所なのかもしれない。
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オフシーズンにのんびりと古徳沼の湖畔にいた
老人たちは、なじみのないよそ者にも、自分たち
の住んでいるところについてゆったりと語って
くれた。
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静かな土地で、静かな生活を送ることで心穏やか
に過ごしている彼らの様子は、時間に追われる
自らの生活を振り返る、いいきっかけとなって
くれた。
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瓜連では、驚くほど時間がゆっくりと過ぎていく
ような感じがする。
体内時計がゆっくりと進むような感じで、
何かに焦っていた自分がリセットされるような
感覚が味わえる。誠に健全な感覚といえるだろう。
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 2015年3月20日 発行
著 者 :西野 万里子(日本地域資源学会)
写 真 :森作 勇哉(常磐大学コミュニティ文化学科)
監 修 :塚原 正彦 常磐大学教授
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